the band apart

姓 名:the band apart
英文名: the band apart
国 家:日本

9548
粉丝
138
歌曲
56
专辑
56
评论

荒井 岳史(あらい たけし):ボーカル&ギター
1978年8月10日生まれA型。身長は185cm。
ギターはギブソン・SG→フェンダー・ジャガー→フェンダー・ストラトキャスター→フェンダー・テレキャスター→ナビゲーター・テレキャスター→フェンダー・ジャズマスター→ESP・ストラトキャスターを使用。
結成当初はベースボーカルだったが、原にパートの交換を提案しギターへ転向した。
渋みのある声で吐息混じりに歌うスムースなボーカルスタイルが特徴。ソウルの影響を指摘されることもあるが、本人は「曲の雰囲気に合わせていたら自然にこうなった」という旨の発言をしている。メタルのコピーをやっていたときはジェイムズ・ヘットフィールドの真似をし、無理にしゃがれ声で歌っていた。
複雑なコードのカッティングやオブリガート的なフレーズも、歌いながら難なく弾きこなす。荒井のパートは、一般にギターボーカルが弾くギターとしては非常に難易度の高い部類に入ると思われる。
19~20歳の頃は地元のライブハウスに弾き語りで出演し、オリジナルの日本語曲などを歌っていたこともある。近年ではbloodthirsty butchersの吉村秀樹の企画や、荒井自身による企画などでアコースティックライブを行っている。これらのライブではthe band apartの楽曲をアコースティックバージョンで演奏するほかに、上述の日本語曲も披露されている。また、山下達郎やサザンオールスターズなどのカバーが演奏されたこともある。
映画好きであり、サウンドトラックも好んで聴く。以前、フリーペーパーのGBEVでは映画について語るコラムを連載していた。
元ラガーマン。現在でも屈強な肉体を誇っている。
川崎 亘一(かわさき こういち):ギター
ギターはモズライトマークI及びマークIVを使用。
プレイスタイルは、速弾きや特殊奏法を取り入れたテクニカルなフレーズが特徴。もともとメタルが好きだったため、スウィープやタッピングを多用する。
ライブでは、長髪を振り乱してのヘッドバンギングなどアグレッシブな動きが特徴的である。上手を向いてプレイすることが多いが、これは下手にいる原の方を見ると笑ってしまって集中出来ないかららしい。また、観客をあまり見ずに演奏するのは本人曰く「観客の目が気になって演奏に集中できないから」である。
ライブや写真での佇まいからクールな人物だと思われがちだが、周りの人間は「一番しゃべるのも、打ち上げで一番壊れるのも川崎」と証言しており、DVDでその姿を確認することができる。
重度のスニーカーマニアであり、「スニーカーだけの部屋を借りる」という野望を抱いている。その総数は100足近くに及び、最も多くコレクションしているのはNIKEらしい。
実家は「川崎セラストーン」というタイル工を営んでおり、以前は川崎自身もそこで働いており、その給料のほとんどをスニーカーにつぎ込んでいたという。バンドの機材車が故障した際、川崎セラストーンの自家用バンを代替として使用していた時期がある。
ライブ中は革のポケットが特徴的なダメージジーンズを着用。
原 昌和(はら まさかず):ベース&コーラス
ベースはリッケンバッカー・4003→ミュージックマン・スティングレイ→フェンダー・ジャズベースを、アンプはオレンジを使用。エフェクターは使わない。
最も影響を受けたベーシストはクリス・スクワイア。ゴリッとしたベース音と、リズムからオブリガートまで多彩な役割を果たすフレージングが特徴。また、見かけによらずハイトーンな歌声の持ち主であり、原のコーラスは荒井のボーカルと共にこのバンドの大きな魅力の一つとなっている。
独特なキャラクターと卓越したテクニック、ライブ中のアクションで人気を得ており、このバンドの影のフロントマンとされている。実際、曲作りなどにおいて原が全体を見渡す監督的な役割を担っていることを、他メンバーが語っている。
ライブでのMCには定評がある。淡々と物事を述べる姿には人気があり、荒井がMCをするときよりも観客の歓声が大きいことも珍しくない。主な内容はご当地ネタや自虐的なデブネタ、心霊ネタなどである。また、『糞』という言葉を多用する。
親がクラシック好きだったため、幼少時代はクラシック少年であった。ピアノやバイオリンを習わされたが、そちらはあまり上手くいかなかった。しかしクラシックを聴くのはとても好きだったそうである。
荒井が初めて原の家に行き、彼を見たとき「この人は原君のお父さんなんだな…」と思ったという話がある。(それほど老けて見えた)
「ROCK IN JAPAN FES. 2004」にて、あまりの暑さで演奏中に脱糞したという伝説がある。(あくまで本人談のため真偽は定かではない)
ライブ時、荒井と原の後ろにはボックスファンが設置される。原いわく「扇風機は、でぶの命を繋ぐライフライン」。
アメリカツアーにおいて原のキャラクターはアメリカ人にも受け入れられ、各地で片言のMCで笑いをとった。また、ある会場で原が「I'm fat boy.」と言ったところ、発音が悪かったため観客には「I fuck boy.」と聞こえてしまい、いきなり同性愛者宣言をしたのかと勘違いされ会場が盛大な歓声に包まれるというハプニングがあった。
木暮 栄一(こぐれ えいいち):ドラムス
ドラムセットはdw、スネアドラムはカノウプスのZelkova hs-1465、ドラムスティックはpro-markを使用。ちなみにCDをリリースするようになってからも、数年間自前のドラムセットを持っていなかった。
個性の強いアンサンブルをまとめ上げる細やかなドラミングが特徴。リズムパターンの引き出しが非常に多く、ディスコライクな四つ打ちからフュージョン風の16ビート、ラテンリズムまで幅広く叩きこなす。
3rdアルバムからはジャムブロック、カウベル、タンバリン、ヴィブラスラップなど様々なパーカッションを導入し、バンドサウンドに新たな彩りを与えた。
高校生の頃、親の仕事の都合で一時期カナダに住んでいた。そのこともあってか英語が得意である。
結成当初は、メタル好きのメンバーの中にあって唯一ヒップホップ、オルタナティブ・ミュージックを好んで聴いていた。なお、年月と共にメンバー間の音楽の好みは共通性が強くなり、現在では木暮もメタルを聴くようである。
バンドを始めた当初、メタルをやるのに嫌気が差し、一度バンドを脱退する。当時はラッパーになりたかったらしく、クラブのイベントによく参加していた。しかし、「そのときの映像を今見ると飛び降りたくなる」らしい。
公式HPのDiaryを月一のペースで、ほぼ一人で更新し続けている。そのためこのDiaryは一部で「月刊コグレ」という愛称が付いている。小粋な文体が人気。
絵が上手く、Tシャツ、CDジャケットのデザインや、DVDのブックレットでその腕を披露している。
演奏時の立ち位置は荒井が右側、川崎がセンター、原が左側、木暮が後ろと、メインボーカルがセンターに立たない4ピースバンドとしては珍しいスタイルを取っている。これは「誰かがメインとかではなく、4人が同列の関係に見えるといい」というメンバーの意見が反映されたものである。
小简介
1998年結成。 1993年、中学校の同級生だった原、川崎、木暮の3人を中心にヘヴィメタルのコピーバンドが結成。1995年、共通の友人を介して原と知り合いになった荒井が加入し、現在のメンバー構成となる。その後しばらくはメタル等のコピーを続ける(この頃、音楽性の不一致から木暮が一時的に脱退している)。1998年頃から現在のバンド名となり、本格的な活動を開始。バンド名はクエンティン・タランティーノの映画プロダクション、「A Band Apart」に由来する。1999年前期には1st Demoを製作、後期には2nd Demoを製作。共に順調に販売を重ねる。そしてLimited Recordsから2001年に「FOOL PROOF」、2002年に「Eric.W」をリリース。2003年に1stアルバム「K.AND HIS BIKE」をリリース後、自身の運営するasian gothic labelから活動をすることとなる。2004年、独立後第一弾となるシングル「RECOGINIZE ep」をリリースし、限定15,000枚を即完売させる。2005年には2ndアルバム「quake and brook」でオリコン初登場5位を獲得。続く3rdアルバム「alfred and cavity」はオリコン初登場7位を獲得。2007年には盟友バンドであるMOCK ORANGEと共に初のアメリカツアーを行った。
メロコアからフュージョン、ソウル、ジャズ、ボサノヴァなどまで、多くのジャンルの音楽性を取り込んだロックが特徴。
曲作りは誰か一人がするのではなく全員参加型。各自が持ってきたネタ(リフやコード進行、メロディなど)を全員で膨らませていくパターンが主である。その中でメロディは荒井が、リードギターのパートは川崎と原が担当することが多い。また、メロディは各楽器のパートが全て完成してから最後に乗せられることが多い。
歌詞は全て英詞で、日常生活を散文的に切り取ったような描写や少年期への想いを歌ったものが中心である。「荒井の声にうまく乗る日本語が思いつかない」ため、今のところ日本詞の楽曲を作る予定はない。作詞は木暮と荒井が担当している。二人のどちらが書いた詞なのかは歌詞カードの字体で判断することができる。近年ではメンバーの友人であるジョージ・ボッドマン(TURTLE ISLAND)が、文法・表現・発音などの面においてアドバイザーを務めており、ジョージは一部の楽曲で作詞も手がけている。
プロモーションビデオはメンバーがシルエットになっていたり遠景になっていたりと、匿名性の強いものが多い。なお、「coral reef」のプロモーションビデオはバンド名の由来であるA Band Apartによって制作された。
ディズニーコンピレーションで共演したBEAT CRUSADERSとの親交が深い。ヒダカトオルは自身のアルバムをリリースした際に同時期にリリースされたバンアパのアルバム「quake and brook」もしきりに宣伝していた。ビークルの「MUSICRUSADERS」の初回盤でも荒井と原の名前が登場する。
曲作りは音源リリースの時期が決定してから集中的に行われることが多い。そのため、レコーディングの際も曲作りに追われプリプロダクションを行えずに本番に望むのが恒例となってしまっている。「K and his bike」のレコーディングの際は、曲作りが酷く行き詰まったため気分転換にスーパーに甘物を買いにいったところ、疲れ果てた顔で饅頭コーナーを眺める原に荒井が突然「まーちゃん(原の愛称)、これ買ってブン投げねえ?」と提案した。原は「コイツも限界だな…」と思ったが、結局二人で饅頭を買い地面に思いきり叩きつけた。すると、てっきり潰れて飛び散るかと思われた饅頭は「ぽすっ」と鈍くバウンドし、それを見た瞬間に曲ができた、という意味不明なエピソードを原がDVD「Eric the Fool Recognized His Bike Quakes」で語っている。またレコーディングの初めの頃は、スタジオに入っても、曲作りもせずRAGE AGAINST THE MACHINEなどを演奏したりして一日を過ごすこともあったらしい。
メンバー仲が非常に良く、「バンドをしたから仲が良くなったんじゃなくて、仲の良い奴等でバンドをやっている」「音楽は4人が仲良くなるための手段ともいえる」「解散しても友達のままでいられる」とまで語っている。
アルバム「quake and brook」ツアーファイナルの新木場スタジオコーストを迎えた日、アルバムタイトルの如く、夕方に大きい地震が起き、都市部の交通網が麻痺したため開演時間を大幅に遅らせるというハプニングがあった。(実際に、現地に着けなかった人やライブに間に合わないと諦めて帰ってしまった人も多数居た)
アメリカのバンドMOCK ORANGEとは非常に親交が深い。2001年にMOCK ORANGEが来日した際、MOCK ORANGEの作品を愛聴していたメンバーが連絡先を交換し、その後日本での合同ツアーをオファーした。突然の誘いに最初は戸惑ったMOCK側だったが、送られてきたバンアパの音源を聴いて非常に好感を持ち、2003年のツアーで共演が実現した。このツアー時に両バンドは交流を深め、互いの音楽だけでなく人間性もリスペクトしあう間柄となった。続く2004年の再共演を経てMOCK ORANGEはasian gothic labelに加入、2006年には両バンドによるスプリットシングルをリリース、2007年には日本とアメリカで合同ツアーを行った。the band apartとMOCK ORANGEの関係について原は「俺達の合言葉は『アイ・ワズ・ゲイ』だから。俺達はゲイじゃないけど、それくらい愛し合っていこうぜって」という発言をしている。

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