藤井フミヤ

姓 名:藤井フミヤ
英文名: TengJingフミヤ
国 家:日本

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歌曲
56
专辑
56
评论

藤井 フミヤ(ふじい-、1962年7月11日 - )は、日本のミュージシャン・俳優。血液型はA型。身長164cm。
福岡県久留米市出身。久留米市立南筑高等学校卒業。本名及び旧芸名は藤井 郁弥(読み同じ)。弟は藤井尚之。
出生名 藤井郁弥
出生 1962年7月11日(47歳)
血液型 A型
学歴 久留米市立南筑高等学校卒業
出身地 Flag of Japan.svg 日本 福岡県久留米市
ジャンル J-POP
職業 歌手
ミュージシャン
俳優
アーティスト
担当楽器 ボーカル
活動期間 1983年 - 現在
レーベル ソニー・ミュージックアソシエイテッドレコーズ
事務所 株式会社FFM
共同作業者 藤井尚之
影響 キャロル
公式サイト FFM
小简介
旧日本国有鉄道(国鉄)職員の父と美容師の母のもとに第1子として出生。中学生の時、キャロルに出会い音楽を始める。
久留米市立南筑高等学校卒業後、国鉄門司鉄道管理局鳥栖駅で半年間の見習期間の後、同早岐駅に配属。貨物列車の連結係や操車・入換業務に従事。国鉄在職時は国鉄労働組合(国労)に所属し、国鉄改革時と重なりパージの対象にされたという。
国鉄退職後の1983年にチェッカーズのリードボーカルとしてデビュー、数多くのヒットをとばした。歌唱力のみならず外見や言動も注目され、彼の先進的なファッションを真似する若者が増加した。また、オリジナル作品をシングルとして発売した以降の殆どの作詞を担当し、楽曲製作の中心的存在となった。なお、チェッカーズがデビューした頃は国鉄が国鉄分割民営化を控えた大変な時期だっただけに、藤井の大活躍は当時国鉄の金沢鉄道管理局管内に配属されていた現役車掌兼シンガーソングライターで『ザ・ベストテン』や『ザ・トップテン』の常連であった伊藤敏博の活躍と共に、国鉄マンにとっては希望の星であった。
1992年にチェッカーズは解散、翌1993年から「藤井 郁弥」を「藤井 フミヤ」に改め、ソロ活動を開始した。同年リリースした『TRUE LOVE』が240万枚、1996年リリースした『Another Orion』が120万枚[1]を超えるセールスを記録した。
歌唱力を武器に歌手活動を行うかたわら、「FUMIYART(フミヤート)」名称で個展を開催したり、愛・地球博の名古屋市パビリオン『大地の塔』をプロデュース(世界最大の万華鏡としてギネスブック認定)したりと、幅広く活躍する。数多くのテレビドラマにも出演。
楽曲提供では、猿岩石への『白い雲のように』(作詞。作曲は弟の尚之)や、MISIAへの『星空の片隅で』(作詞・作曲)などがある。
地域への協力も数多く、出身地の福岡県久留米市へ久留米市歌『ふるさとのささやき』の作曲、くるめ市民カードのデザイン提供、福岡放送のロゴマーク作成、母校久留米南筑高校の制服デザインなどがある。また、地元福岡県のプロ野球球団福岡ソフトバンクホークスの応援歌『勝利の空へ』を生で歌うため、毎年開幕頃(スケジュールによる)は試合観戦に福岡ヤフージャパンドームを訪れている。なお、敗戦の場合は観戦だけである。
1997年10月1日開局で鹿児島県初となったコミュニティFMの鹿児島シティエフエムの愛称"FRIENDS FM 762"は、藤井フミヤにより名付けられた。藤井はジングルにも登場し「オレのFM、キミのFM、フレンズFM762(フレンズエフエム ななろくに)」とアナウンスしている。そして取締役にも就任している。
長野オリンピック冬季大会のカウントダウンTシャツのデザインを手がける。1998年の大会当日までの残りの日数を刻んだTシャツで、フミヤは500~401日前までのデザインを担当。
日本武道館でのライブ公演は矢沢永吉と並んだ事があった。通算公演回数が102回(チェッカーズ時代、F-BLOOD名義での公演を含む)の歴代第1位となる(2008年12月31日現在)2010年1月現在では矢沢永吉が歴代1位。「音楽を始めたきっかけがキャロルだったので、その矢沢さんと武道館のステージに立った回数が並んだ事はすごく光栄です」と語っている。
私生活では1990年6月29日(秋篠宮文仁親王の婚儀と同日)、長年交際していた女性(一般人)と、フミヤの地元である久留米水天宮で挙式して結婚、一男一女がいる。実弟尚之と、F-BLOODを結成し、時折活動している。
前述のように現在でも地元福岡には愛着があり、福岡ソフトバンクホークスのファンで公式応援歌の提供を始め、在福のテレビ番組にもしばしば出演する。
元不良で、かなりのワルであったことをテレビ等で語っている。
かなりの酒豪で焼酎一升を飲み干した事もあるとテレビで語った。
2009年7月22日の日食を見に行く為、屋久島へ行く。半年前から計画して万全の態勢で行ったものの曇りの為、直接見る事は出来なかった。また屋久島環境保全のための修繕費用として売上げの一部が寄付される「屋久島Tシャツ」をデザインした。

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